パート主婦の子育て・投資日記

自分と家族の明るい未来のため専業主婦からパート主婦へ。その後海外投資を開始。夫・高校生の子どもとの3人家族。日々の出来事など思うままに書いています^^

災害から学ぶこと

台風で被災された方々、心からお見舞い申し上げます。

 

まだ復旧には時間がかかるかと思いますが、

平穏な日々が早く訪れることを心よりお祈り申し上げます。

 

実は、311の時、福島で震災を経験した以外に、

水害の恐怖を少しだけ経験したことがあります。

 

当時記録的な大雨が降り続いており、

1人で運転していた時、近くの川が決壊したようで、

道路に水があっという間に押し寄せ、

どんどん車内に水がきて、シートの高さまで浸かりました。

 

ドアの隙間から茶色い水が勢いよく入ってくる恐怖は

今でもはっきりと覚えています。

 

幸い、車の修理だけで済みましたが、

人生で初めて、私はこの時、

 

・今までに経験したことがないこと

・予想もしなかったこと、想像以上のことが、人生には起こる時があること

 

を意識したように思います。

 

原発事故も、ありえないようなことが、起こってしまいましたし。。

 

災害は起こらないほうがいいに決まっていますが、

日々の生活、家族、健康、お金など、

今あることに目を向け感謝すること、

そして、何があっても動じず、驚かず、受け止め、

 

【できることは普段からしておく】

 

【どんなことでも糧になるように、自分を高めておく】

 

ということを、いつも私に教えてくれる気がします。

 

そして、現在も懸命に復旧作業に携わっている方々、

ありがとうございます。

 

1人でも多くの方が早く見つかることを祈っています。

 

はじめまして

就学後、生活サイクルにも慣れてきたころ。

 

よっしーさんと、

https://ameblo.jp/charlietaka-global-yossy/

めうみさんが、

https://ameblo.jp/global-education/

 

合同でセミナーを開くということを知りました。

口座開設のため、長期積み立てのお話を聞きに行くため、

とてもサポートしていただいたよっしーさんにお会いできること

(お顔を知らず、香港に渡航したのでw)

 

ずっとブログを読んでいためうみさんにもお会いすることができるなんて、

これは、行くしかない!!とすぐさま申し込み。

 

お会いしてきました。

 

よっしーさんは、

とにかく想像通り!!とても優しく、

人を思いやる気持ちでいっぱいのお人柄で、

それでいて、セミナー時は的確な情報を分かりやすく説明してくださり、

この方を頼って、やっぱり良かったなと思いました。

 

めうみさんも、想像通りカッコよかったです!!

実際に当時は母子でマレーシアで生活しているだけあって、

オーラや眩しさは当時の私にとって強すぎるくらい。

自分とは違う人種の方だ。。と自己嫌悪に陥りそうでしたが💦

お会いして、同じ女性としても、ますます尊敬できました。

 

そして、しばらくして、

今度はよっしーさん、

めうみさんのご主人のとしゆきさんとの相談会に申し込みました。

この時主人が仕事で休みを取れず、事前に了承していただいた上で、

子供も一緒に連れて行きました。

 

・初対面の男性2人と長い時間(1~2時間)話すことになること、

・ジュースを飲むときは、お腹が痛くならない程度にお代わりはOK

 

などと、何度も子供に伝え、そしてお気に入りの本等持ち込んで、

待ち合わせ場所に向かいました。

 

としゆきさんもとても優秀な方で、

こちらの知識に合わせて、いつも上手にお話してくださるので、

本当に有難いです。

 

めうみさん・よっしーさんのブログにも書かれていますが、

保険やクレジットカードの知識はプロ級のプロで、

今でも私に合う薦めていただいたクレジットカードを持っていますし、

保険へのスタンスも参考にしています。

 

そして、何より驚いたのが、

 

あれだけ初対面の男性が苦手な子供が、全く大丈夫だったこと。。

 

うちの子は、とても勘がするどく、

小さな頃から、老若男女問わず、好き嫌いや合う合わない、はもちろん、

優しい人、そうでない人、善意・悪意のある人の

見分ける力が、微力ですが備わっていまして。。

(親が何も言わなくとも、身内や友人等でも当てはまっていましたw)

 

お2人とも全く大丈夫でした(*'▽')

 

むしろ、普段なら男性に話しかけられることが好きではないはずで、

子供にとって、難しい話を長い時間聞いていたのに、

【楽しかった!】

とも言っていました。

 

これからお3方にお会いする方への、参考になればと思います☆

 

 

 

小学校へ

一般的には、就学、小学校にあがるって、

とっても嬉しくて喜ばしいこと。

みんな「おめでとう!」と言ってくれて。

ウキウキ・ワクワク、な感じが多いですよね。

けれども当時の私にはそんな余裕、全くありませんでした。。( 一一)

 

療育施設にいる時から、

小学校に上がったら、

園長先生じゃなくて、校長先生に呼び方が変わるんだよ!

クラスがあって、たくさんお兄さん・お姉さんがいて、

調子が悪くなったら、ベットで休めるお部屋もあるんだよ!

とか、見学できるときは見学に何度も行って、

見通しをとにかくたててきました。

 

また、入学した学校の先生がとても親切で、

事前に子供の特性をお伝えしたところ、入学式前日に、

「入学式の練習してみますか?」と連絡が。

 

訪れたところ、うちの子のためだけに、

司会をする先生、1年生の担任の先生方、

起立・礼の練習する椅子が準備されていて。

(これまでとは違って、厳粛な雰囲気、言葉、全てが初めて経験することで、

 練習のお陰で、当日無事に過ごせたという本人の自信にもつながりました。)

 

練習後には改めて学校や教室の見学なんかもあり、

この時、普通の小学校の先生でも、理解者がいることを知り、

とても感動し、大変感謝したことをよく覚えています。

 

入学後は、突発的におこった出来事に対応できず、

動けなくなってしまったり、泣いてしまうことは時々ありましたが、

担任の先生・学校全体でよく見て下さったお陰で、

大きなトラブルは起こりませんでした。

 

ただ、年長時・入学後も支援を受けられるか、

公的機関等に働きかけてはみましたが、全く相手にされませんでした。

というか、いつものお決まりパターン(笑)

 

【田中さんなら大丈夫】

【お子さん暴れたり危害を加えることもないし】

【みんなと同じように過ごせるから、何の問題もない】

 

一番印象的だった言葉は、

 

田中さんのお子さんの状態で支援受けたら、税金泥棒になってしまいますよ】

 

と。。。。。

 

洗礼を受けましたが、分かっていたこと。

今まで色々なことを言われても来たし、

もう自分たちのことを分かってくれる人が1人でもいればいい。

と思えるようになりました。

 

病院なども同様、ネットや紹介でよい先生と言われて受診したものの、

全く合わず、むしろ子供本人に向かって、

 

【小さい時、おかしかったんだね。】

 

と。

ドクターが、です。。

 

 

今では探しに探して、とても信頼できる専門家の先生と巡り合えた為、

(この時も、とにかくあきらめずに、行動するのみ!でした。)

安心して生活できていますが、

突き放されたり(笑)、ピンチの時こそ必死に行動してきたことが

今、実を結んでいるのかな、と思います。

転園

年長になる年。

悩みに悩んで、転園することを決めました。

 

このまま就学まで通園したかったのですが、

診断がついていても、

うちの子の状態では、小学校では何も支援が受けられないこと、

 

自分が勉強したり、色んな方とお話を聞いていると、

この先全く支援は無しで、

生きていかないといけないことは認識していたので、

最後の1年間は一般幼稚園に行かないと、

子供が辛くなると思い決断しました。

 

もし合わなかったり、失敗した時は、辞めてもいいし、

その時考えようと。

とにかく、やってみようと思いました。

 

とは言っても、環境の変化にすんなり対応できるようになったわけではなく、

3年間で、目を見張るような成長もありましたが、

苦手な部分は、そう簡単に改善されるわけではありません。

 

主人が当時住んでいた地域の一般幼稚園ほぼ全てに、

受け入れてくださるか、問い合わせ、

お返事いただいた数か所の園に見学、

そのうち子供も主人も私も、ここならなんとか大丈夫かなと

転園を決めました。

 

転園にあたって注意したことは、

 

・とにかくのびのび自由でおおらかな環境。

・勉強・運動・芸術より、社会性が育ちそうなところを重視。

・子供がとにかく楽しく通園できそうなところ

 (例えば壁紙の色や、照明、匂い、雰囲気、感覚過敏なため、

  私には理解できないことも、本人のストレスになるので。)

・見通しをたててくれること

(急な予定変更がある場合は、丁寧に全体に説明する園でした。)

 

幼児教育はとっても大切なことは分かっていましたが、

この時の子供の状態では、

とにかく社会で自立していく力を無理せずつけることが

第一優先。

 

なので、

 

勉強→家庭で通信教材、

運動→園や近所の子と外遊び、冬季はスキー

   (有難いことに、理解してくれる数人と出会えました。)

芸術→工作教室を続けたいと希望だったので、

   いくつか教室を見学し、気に入ったところに入会

 

こんな感じで過ごしました。

 

この子がいつか自分の夢を持った時、

必要な力・選べる力をつけておいてあげたいので、

転園後も私が出来ることは全力でしたつもりです。

 

住む場所と園が両方変わることは、

本人にとって大変ストレスがあったと思いますが、

先生方のご配慮、周りのお友達にも恵まれ、

1年間行きたくないとは言わず、無事卒園することができました。

 

行事の際、急な出来事に対応できず固まったり、

泣いてしまうことは勿論ありましたが、

今、本人は、

療育施設も、幼稚園も、どっちもすごく楽しかったと話してくれるので、

必死で過ごしてきた日々は、間違いではなかったと思っています。

 

やっぱり、

 

行動せずに後悔するなら、行動して後悔した方がいい。

 

のかな。と思います。

療育日記⑤

療育施設に通園している間、

子供自身も成長させていただきましたが、

私自身も同様だったと思います。

 

親を対象とした勉強会には何度も出席し、

今後の事、直近では、就学時にまず壁がありそうなことが予想され、

ここを無事乗り超えることを目標に。

思春期、大人になるまで、

何度も壁がありそうなこと、息の長い子育てになること。

ゴールが見えない長期戦になることも、

改めて覚悟もできました。

 

また、母親同士、いろんなことをお話する機会を設けて下さり、

これは本当に貴重な経験で、私にとってかけがえのない大切な時間でした。

 

通園されているお子さんは、本当に様々で、

絶対に普通に生活していたら、知らないような分からなかったことを

言葉に言い表せないほど、たくさんのことを教わりましたし、

苦しんでいるのは、自分だけじゃない、ことも救いになりました。

 

 

子供への声のかけ方や、育児そのものに対する考え方をトレーニングしたり、

毎日がむしゃらに、療育中心に過ごしていました。

 

地元の友達や、何気ない時に、

目に入ったり耳に入る同じ世代のお子さんや、お母さんたちとは

全くかけ離れた生活。

 

それでも、自分で選んだ道。

 

主人も単身赴任ですでに離れていて、

母子避難している人がとても多い中、

震災直後の福島で母子療育をしていた私のことを、

なぜ田中さんのところは、地元ではないのに、母子で福島にいるの?とか、

子供の事とか、噂や憶測で色々言われることも、時々ありました。。

 

落ち込んだ時、辛い時、

すでに見つけていた、

お子さんの為に母子留学をしているめうみさんのblogを読み、

私もとにかく前に向かって進もう!!

と、何度も勇気づけられたこと、よく覚えています。

 

療育日記④

暗い内容ばかりだと、書いていると沈んだ気分になるので

療育期間に、私が積極的に行ったことをいくつか書いておきます(^^♪

 

まず、手先が器用というか、何か作ったりすることが好きだったので、
先生の勧めもあり、いくつか探した結果、よい工作教室と巡り合うことができ、
そこに通いだしてからは、感性が豊かになっていきました。

 

作った作品が、賞を頂いたこともあり、

とても本人の自信につながったと思います。

 

また、せっかくの東北暮らし。

原発事故の影響の保養も、子供の視野を広げることも兼ねてですが、

いくつかのボランティアの団体が主催していたイベントに参加してみたり、

近隣の県にアウトドアに出かけたり、

親子で参加できるデイキャンプのようなものに参加したりしました。

 

※事前にタイムスケジュールを見せて説明し、時にはネットも使って、

ここにいくんだよ、と伝えることは不可欠でした。

これをしないと、パニックになったり、固まって動けなくなったり。

また予定通りに進まないこともあることを、

遊びの経験から学べたよい機会だったと思っています。

 

 

そして、運動。

チームプレイより、個人でできるものの方が向いていたため、

いくつか候補を挙げ、実際に体験等連れていきました。

 

プールは残念ながら匂いが全くダメで、

顔に水がかかるのもNGだったため、あえなく却下。。

 

ダンスや体操は、体を動かすことは好きなものの、

自分の思うように自由にできないことが合わなかったらしく、

こちらも断念。。

ラソン陸上競技もうちの子にはイマイチで。。

ただボルダリングは楽しかったみたいで、時々連れてってほしいと言われ、

当時は何度か行きましたが、現在は続いていません。

 

今でも続いているのはスキー。

普通に滑るレベルですが。。私が結婚前までスノーボードをやっていた為、それを復活させ、子供はスキーの個人レッスンに何度か通わせました。

 

※スキーを選んだのは、大きくなってから学校で行く機会があるかなと。。

 

グループレッスンでは、うちの子の特性上、絶対無理だったので、

個人レッスンを行っていたスキー場を探し、

片道1時間以上かけて行っていました。

割とセンスがあったのか?先生にも褒めていただいたり、

本人も楽しそうで、数回で滑れるようになり、

その後は毎年・毎週末(笑)2人で滑りに行っていました。

 

 

今はスキー場が遠くなり、年1回ほどしか行きませんが、

それでもいい趣味が1つ増えたというか、

毎年行きたいと自分から言ってくれるので、

あの数年間、時間とお金と体力をつぎ込んでおいて(笑)

良かったなぁと心底思います。

 

療育日記③

出産の前後も、産後しばらく経った後も、

主人とは仕事の為、離れて生活していた私たち。

 

3回目の別生活。

これまでと違うのは、仕事の為ではなく、子供の療育の為。

 

震災直後の福島で。

 

考えれば考えるほど、不安で不安で仕方ありませんでしたが、

とにかく目の前の事をやるしかありませんでした。

 

毎週、先生との3者相談。

その時子供は好きなことで遊びつつ、

興味関心が少しでも広がるように、

先生が上手に引っ張ってくださったり、

私は困っていることを相談したり、

気になっていることを伝えたりしていました。

 

1年目は、本当に少しの環境の変化で、まだまだパニックになっていました。

 

違うクラスのお友達が入ってこようとすると、

 

『違う!!』

 

と言って、追い出そうとしたり、

 

子供が通園中、雪に備えてスタッドレスタイヤに替えて迎えに行ったら、

 

タイヤとホイールが違う、と大泣き&パニックに。。

(そこ気になる?と、私は唖然とした記憶があります💦)

 

中々車に乗れず、なんてこともありました(+_+)

 

また、上手に言葉で説明できなくてもどかしい時は、

物に当たったり、蹴ったり、暴れたりと、

外ではしないことも、家ではひどい時期もありました。

 

嫌な記憶が急によみがえり、泣き叫ぶ、ということも度々あり、

そうゆう時は、必ず夜泣きもひどくなっていました。

 

この頃受けた発達検査では、

初回と同じで、

圧倒的に社会的スキル・コミュニケーション能力が足りないこと、

少しでも底上げするには、細かいことをとにかく伝えていく、

分かる・分からないは別として、社会ではこうだと、

最低限必要なこと(挨拶や、ルール、マナー)を、

根気よく本人が分かりやすい方法で伝えていく

(うちの子は、目で見て分かるタイプでしたので、本や映像もよく利用しました。)

同時に、得意なことをどんどん伸ばし、

自分に自信をつけさせてあげること。

 

 

 

このことは、大きくなった今でも、とても大切にしていることで、

同時に難しさを感じることでもあります。

 

挨拶や立ち居振る舞いなんて、

大きくなれば、いずれ自然に分かるだろうというのは、

うちの子のようなタイプには当てはまらないことです。

 

真似や自然に覚えれるのなら、療育は必要ない

 

と、聞いたこともあります。

 

そして、笑顔の大切さをとにかく伝える!

 

笑顔は世界共通!

 

【お礼を伝えるときは、相手の目を見て、歯を見せて笑顔でね!】

 

実際に鏡を置いて、今でも親子で時々確認しています( *´艸`)