パート主婦の子育て・投資日記

自分と家族の明るい未来のため専業主婦からパート主婦へ。その後海外投資を開始。夫・高校生の子どもとの3人家族。日々の出来事など思うままに書いています^^

療育日記②

【都内に転勤が決まった】

 

こう聞かされた時、正直複雑でした。

 

・都内のほうが、一般的には色々と療育環境が整っているかも。

  ↓↓

あっても、また、心配しすぎとか、一般幼稚園に行ってください、と

門前払いじゃないかな。。

 

・生活するのも、便利そう。外で自由で遊べるだろうし。

  ↓↓

また環境変わったら、癇癪や、パニック、夜泣きが酷くなるのでは。。

 

 

 

施設の先生方、かかりつけ医の先生方の意見も伺いつつ、

居住予定地近辺の施設に問い合わせをしたり、実際にいくつか見学に行きました。

結果、主人は都内に単身赴任、療育の為に母子で福島に残ることを選びました。

 

主人とは、ものすごくぶつかりました💦

診断のことも受け入れてない状態&身内もいない震災後の福島に、

母子で残るなんて、ありえないと。

(当時、母子避難&ご主人が残っているケースがほとんどでした。)

将来、特に子供の健康に何か問題が出たら、どう責任を取るんだとか。

もっともな意見ですし、私もその点を一番心配していました。

 

軽く考えているわけじゃない、

たった1人の自分の子供。

心配していないわけじゃない。

 

けれども、せめて小学校入学までは、

本人が、自分の人生を生きていけるスキルを療育で身につけることができるなら、

確率が高い方を選ぶ。

 

主人にびっしり書いた手紙4枚を渡して、理解してもらい、

私達は療育の為に別々に暮らし始めました。

 

行けるときは毎週末、私と子供が主人宅に通いました。

別れ際、子供は何度か泣くこともありましたが、

 

自分の家→福島

 

という思いが、とても強く、主人が普段から仕事で不在がちだったこともあり、

平日、お父さんがいない寂しさで不安定になることはありませんでしたが、

主人宅に宿泊するということが、慣れるまで大変で。。

(私の家・お父さんの家 週末は行ったり来たりしますと、絵を描いて説明し、

徐々に理解してくれました。)

 

多くのお子さんとは、やはり違うな、

と感じたことでもありました。

 

普段は療育中心。

先生方にいただいたアドバイスを家庭でも積極的に取り入れたり、

言葉かけ1つでも変わることを実感していました。

子供も1度も行きたくないと言わず、成長を感じていた一方で、

私の体は色々と限界がきていて、

産後からの継続的な睡眠不足とストレス、震災、主人との離れた生活。

疲れや冷えからくるぎっくり腰を1.2か月おきに発症したり、

体の左半分がしびれたり、

顔に帯状疱疹が繰り返しできたり、散々でした。

 

毎回、お医者さんに、

【お母さん、疲れているみたいですから、よく休んでくださいね。】

と言われ、

 

私は、

【子供が特性がある子で、こだわりや癇癪がひどいんです。

 夜泣きで2.3時間おきに泣きますし。頼れる身内もいません。

 サポートセンターなんかに預けたら、その日の夜泣きがもっとひどくなります。

 どうしたら休めますか?】

 

といつも答えていました💦

 

明確な答えは当然頂けず(笑)

心身ともにしんどくて、自分の人生の選択、間違ったかも、と日々悶々。

けれども、そう思ったって、何も変わらない。

寝れないなら、寝なくても丈夫な体と気持ち(精神力)をつける!!

 

私が前向きにいれば、きっと離れている主人にも、子供にも、

絶対いい影響を与えられる!!

 

色んなことが、私のことを少しずつ少しずつ、

強くしてくれた気がします。

療育日記①

4月に入り、まだ震災の影響で混乱していましたが、

予定より数日遅れで入園することができました。

 

一緒に過ごすお友達、ご両親、先生やスタッフの方々。

とても良い方ばかりで、皆さんにお会いしていなかったら、

私たち家族はどうなっていたのだろうと。。

本当に本当にお世話になりました。

 

肝心の子供は、初日はやはり緊張していましたが、

興味のあることをとことんやらせてくれたり、

小人数で、きめ細かく先生が関わってくださる方針だった為、

特に初めの頃は、数時間ひたすらはさみで紙を切るのがお気に入りでした^^

 

すごく子供も満足そうで。

色々やらせることを決してせず、

本人がもういいと満足するまでやらせる。

これは、本当に盲点でした。

 

親としては、いつも同じことしかしないのは、

視野が狭くなりがちになるため、

もっと色々見せたり、やらせたい、と考えていましたが、

うちの子には全くの逆効果のようでした。

 

慣れてきたら、先生方が上手に他のことを提案してくださり、

例えば、ボタンをかける練習をしてきたり、

石鹸をけずってきたり、(香りが良いのもあってお気に入りだったようです。)

折り紙も。

クラスで年齢が一番下だったのもあり、

クラスの子は勿論、とにかく皆さんに目をかけていただきました。

 

震災の影響で、施設でも外遊びは全くできない状態。

室内の遊び場があるところに、平日休日問わず遠くても連れて行ったり、

偏食&通園後も夜泣きは治まらず、相変わらずの睡眠不足でしたが、

情報収集と、健康管理に細心の注意を払い続ける日々。

ここで療育を受けると決めたからには、

前だけを向いて毎日過ごしていました。

 

そんな手探りながらも、子供は充実した様子だった数か月後のある日、

主人から突然、転勤が決まったことを伝えられました。

 

入園前に起こった震災

待ちに待った入園が近づき、

何とか予約を取って数回ですが、外来相談にも行けていたので

今まで感じていた孤独感、誰にも分かってもらえない感は少し和らいでいました。

でも、寝不足と、イライラや疲れからくるストレスから

手をあげてしまいそうになる自分を抑えつつ、

その日を心待ちにしていましたが,

 

311の震災発生。

 

当時、福島県に住んでいました。

転勤で1年前に引っ越してきて、新しい生活にもやっと慣れ始めた頃です。

 

共感は全く頂けないことは十分に分かっていますが、

2歳の子供の健康を考えれば、当時、避難するべきだったと思います。

 

だけど、少しの環境の変化でパニックになる子供。

やっと1年かけて今の家に慣れてきて、

理解してくれる方にも出会え、来月から療育も受けられる。

どうして、このタイミング。

自分自身、試されているのかな、と。

 

家族、地元の友人達はすぐ帰ってくるようにと、

心配して何度も何度も何度も声をかけてくれました。

 

出来るだけの情報を集め、

これまで意識なんてしたことがなかった

呼吸をするだけで、ただ家の中にいるだけで、

将来病気になるかもしれない。死ぬかもしれない。

目に見えない、得体の知れないものへの恐怖。

私よりもまだ2歳のこの子のほうが、影響が出やすいことは分かっている。

 

けれども、早いうちに療育を受ければ、

成長した時、適応力がつくことは、確実。

ひどい夜泣きも、今思えば、私に知らせてくれる為だったのでは?

 

悩みに悩んで、療育を優先、福島で生活していくことを選びました。

 

 余震は続き、ライフラインは幸い早めに回復しましたが、

その後の影響はご存知の通り。

出来るだけ線量の低い地域へ出かけたり、

お水や食べ物、外出、全てに気を配り、窓を開けることもできない生活。

それでも自分で選んだこと。ここでしばらく生きていくと決めたからには、

出来ることをやるしかありませんでした。

 

主人も仕事でほとんど会えず、

連絡も取ることがままならない状態でしたが、

これまでぶつかることも多かった私たち、

お互いの存在に感謝し、出来る限り寄り添い、大切にしていかないと、

と震災から学べたこともたくさんありました。

 

療育園に入園へ

診断がついてから、

 

trip200.hatenablog.com

 

数年間の間に受けた子供の療育や様子について、

少し記録していこうと思います。

 

この頃、

 

◆周囲に反対されながらした結婚、

◆結婚前から分かってはいたけど、

 ストレスや苦手な事が原因で起こる、主人の度重なる心身の不調、

結婚は、やはり間違いだったのかと日々後悔していた時期、

◆子供の事、

 

だいぶドロドロとした気持ちで、この頃を過ごしていたので、
正直いい思い出が少なく、
産後から引き続き、不安定でひどい時期だったとも思います。

 

ただ、結婚も出産、全て自分で決めた選択。

どうしたら今より良くなるか、とことん向き合わざるを得ませんでした。

 

 

不快な方はスルーしていただければと思いますし、

今苦しんでいる方に対しては、

私が書くことで、少しでも何か助けになることができたら嬉しいです。

 

・・・

 

診断がついて、すぐに保健師さんに連絡、

(私が手をあげてしまったり、あげることに罪悪感を持たなくなりそうになったり、

 どうしようもないとき、時々泣いて電話をし、

 すぐ家にお越しくださった、大変お世話になった方でした。)

 

そして、近くの療育施設や相談窓口を紹介していただきました。

 

ただ、ここでも大問題となる壁が。。

 

◆見た目普通

 

◆身体的な発達は問題なし

 

◆興味のある事に対して知識高め

 

の為に、診断がついているにも関わらず

 

単なる人見知り&成長と共に治るのでは?

 

 と、療育施設で、日々色んな子供たちと接している

プロの方たちにも言われました。。

 

非常に落ち込みましたが、

ここが最後だと、諦めながらも訪れた先に、希望の光が。

(この展開には私も驚きましたw)

 

私の命の恩人とも言える先生との出会いがあり、

 

30分ほど話をしたあと、すぐさま

 

『来年から通園してみる?それまで、困った時は相談においで。』

 

『今まで、本当に大変だったね。』

 

と。

この時も物凄く泣きました。やっとこの子の為になる療育が受けられる!と。

そして、色々手続きも経て、無事春から通園できるようになりました。

 

入園時にはまだ2歳で、

まだまだ夜泣きが酷く、毎日2.3時間毎に起きていたし、


(自分の意志で寝起きする2時間と起こされる2時間は、全く別物でした😢)

 

人見知りはひどく、初めての場所に行くと、

固まって動けなくなったり、

普段行くお店で、お気に入りのものが売ってなかったり、

商品の入れ替えや、売り場が変更していると、

パニックになって泣くこともありました。

 

こだわりもとても強く、市販のレトルトやお惣菜、外食も全くダメな上に偏食、

(卵かけご飯しか口にしない時期が、半月ほど続くこともありました。)

温湿度や天候に対して、適切な服装が着れない、

日中出かけたり、刺激を受けると、

またその日の夜泣きが更に酷くなる状態でした。

 

 

仕事もしていないのに、なんで年少前に、しかも施設に通園させるの?』

 

『診断なんか、先生が勝手につけるだけ』

 

と、主人はまだ受け入れることができない様子でした。

 

夫婦仲はお世辞にも良いと言えず、

私は精神的にも体力的にも限界で、八つ当たりは日常茶飯事、

全てが嫌になって家を飛び出したことも。。

 

いつも不在がちな主人の意見より、

施設の雰囲気、療育方針、先生を信じて、

私は半ば強引に入園を決めました。

 

お金も人生も上手に扱えるように

契約までの間の子供の様子を書いていこうと思いましたが、

少し書いてみたいことがありましたので、次回からにして・・

 

先日、久しぶりに子育てについての勉強会に参加してきました。

 

内容は、子供の自立や将来について、です。

 

早くに診断がついたお陰で、

これまで勉強会にも参加する機会に恵まれていたこともあり、

とにかく子供を自立させること、すなわち、

 

《どこにいっても生きていけるように育てる》

 

ことを目標にこれまで過ごしてきました。

 

その中の最重要課題、

 

《お金を稼ぐこと、お金を生み出す力》

 

を、特に大切にしないと、と思っていましたが、

(将来のことは分かりませんが、今のところ結婚しない&子供もいらない、と、

 うちの子は話していますので💦)

 

その日の内容では、

 

《特性の有無に関わらず、本人が高額所得者になったとしても、

 両親から財産を引き継いだり、資産運用等でお金があっても、

 上手に扱うことができずに生活が成り立たない人はたくさんいます。》

 

 

お金を上手に扱うことが盲点になりやすいので、忘れないでくださいね。》

 

ということをお聞きしました。

 

確かに、子供だけでなく、自分自身も、お金を上手に扱える力や器がないと、

自分の手元から離れていったり、損をしたり、騙されたり、

ということが多くなりそうだと、かなりハッとさせられました。

 

子供と一緒に成長していくことの重要性を再認識したと同時に、

まだまだ投資もこのblogも非常に初心者ですが💦

お金も人生も上手に扱える自分になるよう、

手探りしながらでも、今後も日々前向きにやっていきます♬

じっくり時間をかけて

慣れないPCで、

 

 

《我が家の資産形成計画表》

 

 

なるものを作って、簡単なものですが、

私の思いを文字にして見せながら主人に説明していきました。

積立を始めて、まずは金融資産を増やしていくこと。

海外だけだと基準が分からないので、積立NISAも少額で初めて比較してみたり、

理解を得られるように努めてみました。

 

そして、

 

■投資資金分を自分で稼ぐためにパートを始める

専業主婦希望の主人。
生活費は、今まで通り主人のお給料から。
私のお金は全額積み立てに回す!


と伝えました。

 

 

■子育ても両立させる

専業主婦として家事育児に専念することに、

物凄くやりがいがあるかって言われたら、
違うかもと、段々気づき始めていました💦
もちろん大切なのは、自分自身と家族の健康とサポート。
(自分が元気でいることで、家族にも目をかけられる。)
大変かもしれないけど、外に出ることによって、

自分だけの世界も持つことによって、
何か得られることもあるのでは?と説明。


勤務条件は、

・とにかく家庭の事情を優先していただける会社
・週に数日、短時間、扶養内
・できれば、自分自身も何か成長でき、家族にもプラスになるような職場


と、話してみました。


そして、家族の為にも自分自身の経験や成長するためにも、必ず契約したい!!

 

と、何度も様子を見ながら主人に説明し、最終的には理解をしてくれました。

 

その後は、条件にあった職場を見つけ、
ドキドキしながら面接へ行ったら、無事採用していただけることに。

 

数か月勤めてみて、しばらく続けていけそうと判断し、前回渡航時から実に

1年以上経過していましたが、

契約のために再度香港へ渡航することになります。


かなり時間がかかってしまいましたが、

この期間中よっしーさんには、急かされるようなことは一切なく、

もしろ何かあれば相談に乗ってくださったりと、

我が家にとっても何一つ無駄なことはなく、
振り返れば、この話し合いの時と決断があったからこそ、

更に家族の絆が深くなっていったように感じます。

 

 

契約とパート勤務を始める決心

帰国後、主人と子供が、



【おかえりー!】と駅まで迎えに来てくれました。




主人は元々あまり口数が多い方ではなく、
(今も、外では静かですが、家ではよく話すようになりました!)



何事もなかったように、
なーんにも聞かれませんでした😅



ま、想像はついていたので、
私からも特に話さず、
というか、とてもフワフワした気持ちで
何日か過ごしていたので、
ちゃんと自分の考えがまとまってから話そうと思っていました。


で、考えても考えても、気持ちを落ち着かせて、


『自分はどうしたい?』と


問いかけてみると、



『契約したい!』


と。



そして、
失敗するかもしれない、
騙されている?かもしれない。
実際に行ってきて、そんなことはないと思ったけど、、
やっぱり私、ただの投資素人&専業主婦だし、
いい事しか言われてない?
ううん、色々聞いてきて、ちゃんと納得したはず。


でも、でも、、、、


こんな同じような事を、
毎日ぐるぐる考えていました。


更に、この頃、
この先も続く転勤で、引っ越しを重ねるよりも、
環境の変化が、何よりもストレスになるうちの子にとっては、
安定した環境(定住)で生活することを最優先させることだと、
親の私達、また
相談に乗っていただいていた先生方とも意見が一致し、

※本当は、どこに行っても生きていける力をつけてあげたくて、
転勤生活はちょうどいいと個人的には思っていましたが、
自分に自信をつけること、成功体験を積ませること、
そもそもの基礎の土台をちゃんとつけてあげることを最優先することが必要でした。



全く興味がなかった自宅を購入、つまり、
ローンの支払いが数ヵ月後には始まるって時期
だったんです(゜ロ゜)


※諸事情で、賃貸ではなく、ローンのほうが諸々都合がよかったこともあり、
購入に至りました。



さぁ、どうする??私!!


ローンの支払いが始まれば、
今までとは比べ物にならないほど支出が増えるのに、
積み立ての資金、どうやって捻出する??



私が働けば、お金の件は解決する。



この時、子供は小学1年生。
お薬を服用しても、相変わらず夜中何度も起きていたし、
30歳くらいまでは、丁寧に注意して毎日の生活を見てあげていかなきゃいけない。


主人は、私に専業主婦でいてほしいと希望してるし。



ネットを検索しても、
キラキラした子育てか、正反対の記事ばかり。


投資に至っては、
プロの方とか、趣味でやっている
自分とは程遠い(笑)優雅な方の投稿ばかり。



私と似たような人はどこかにいないのー⁉️⁉️





いないなら…





とりあえず自分がやってみよう。
そして、分かってもらえるまで主人に話してみよう。