【都内に転勤が決まった】
こう聞かされた時、正直複雑でした。
・都内のほうが、一般的には色々と療育環境が整っているかも。
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あっても、また、心配しすぎとか、一般幼稚園に行ってください、と
門前払いじゃないかな。。
・生活するのも、便利そう。外で自由で遊べるだろうし。
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また環境変わったら、癇癪や、パニック、夜泣きが酷くなるのでは。。
施設の先生方、かかりつけ医の先生方の意見も伺いつつ、
居住予定地近辺の施設に問い合わせをしたり、実際にいくつか見学に行きました。
結果、主人は都内に単身赴任、療育の為に母子で福島に残ることを選びました。
主人とは、ものすごくぶつかりました💦
診断のことも受け入れてない状態&身内もいない震災後の福島に、
母子で残るなんて、ありえないと。
(当時、母子避難&ご主人が残っているケースがほとんどでした。)
将来、特に子供の健康に何か問題が出たら、どう責任を取るんだとか。
もっともな意見ですし、私もその点を一番心配していました。
軽く考えているわけじゃない、
たった1人の自分の子供。
心配していないわけじゃない。
けれども、せめて小学校入学までは、
本人が、自分の人生を生きていけるスキルを療育で身につけることができるなら、
確率が高い方を選ぶ。
主人にびっしり書いた手紙4枚を渡して、理解してもらい、
私達は療育の為に別々に暮らし始めました。
行けるときは毎週末、私と子供が主人宅に通いました。
別れ際、子供は何度か泣くこともありましたが、
自分の家→福島
という思いが、とても強く、主人が普段から仕事で不在がちだったこともあり、
平日、お父さんがいない寂しさで不安定になることはありませんでしたが、
主人宅に宿泊するということが、慣れるまで大変で。。
(私の家・お父さんの家 週末は行ったり来たりしますと、絵を描いて説明し、
徐々に理解してくれました。)
多くのお子さんとは、やはり違うな、
と感じたことでもありました。
普段は療育中心。
先生方にいただいたアドバイスを家庭でも積極的に取り入れたり、
言葉かけ1つでも変わることを実感していました。
子供も1度も行きたくないと言わず、成長を感じていた一方で、
私の体は色々と限界がきていて、
産後からの継続的な睡眠不足とストレス、震災、主人との離れた生活。
疲れや冷えからくるぎっくり腰を1.2か月おきに発症したり、
体の左半分がしびれたり、
顔に帯状疱疹が繰り返しできたり、散々でした。
毎回、お医者さんに、
【お母さん、疲れているみたいですから、よく休んでくださいね。】
と言われ、
私は、
【子供が特性がある子で、こだわりや癇癪がひどいんです。
夜泣きで2.3時間おきに泣きますし。頼れる身内もいません。
サポートセンターなんかに預けたら、その日の夜泣きがもっとひどくなります。
どうしたら休めますか?】
といつも答えていました💦
明確な答えは当然頂けず(笑)
心身ともにしんどくて、自分の人生の選択、間違ったかも、と日々悶々。
けれども、そう思ったって、何も変わらない。
寝れないなら、寝なくても丈夫な体と気持ち(精神力)をつける!!
私が前向きにいれば、きっと離れている主人にも、子供にも、
絶対いい影響を与えられる!!
色んなことが、私のことを少しずつ少しずつ、
強くしてくれた気がします。