パート主婦の子育て・投資日記

自分と家族の明るい未来のため専業主婦からパート主婦へ。その後海外投資を開始。夫・高校生の子どもとの3人家族。日々の出来事など思うままに書いています^^

改めて再確認したこと

新型コロナウイルスの影響で、子供の学校が休校となって、1週間が経過しました。

 

学校から課題がたくさん出たり、健康に問題がないか定期的に報告をしたり。

 

友人からの連絡で、マスクやアルコール消毒以外にも、ティッシュや、女性用製品等が売り切れ始めていると知り、普段全くストックをしない私ですが、トイレットペーパーが残り3ロールしかなかったので💦先日慌ててなんとか1つ購入することができました。

 

昨日も近所のドラッグストアは、色々なものが売り切れていたりと、突然・急激に色んなことが起こっています。

 

ただ、私はリーマンショック後の実家の廃業、子供の事も含めて、家庭で色んなことが起こったり、311の震災など、色々経験する度に冷静に対処できるようになってきました。

そして普段からとにかく色んな視点を持って生活するようにしています。

 

 海外在住の方のSNSや、外国のメディアが報道している情報も、定期的にチェックしたり。

 

 日本の報道だけですと、何が正しいか分からないですからね。。

 

そして、いつでもどこでも生活できる力やメンタルを持つことは、やはり必要ですし、強いな、と痛感しております。

 

収入は、完全に組織から得ている我が家。今後の働き方や生き方が、夫婦の課題です。

 

一方の子供。

来年受験予定ですが、塾には絶対行かないと言い張り続け、今に至ります💦

普段は本当に管理が大変なのですが、今回ばかりは子供が正解だったと思います。

周りが塾や学校が休みになって慌てていても、本人はお構いなし。

幼い頃から続けているオンライン含む通信教材で勉強しています。

 

子供の口癖が、

 

【勉強するために、わざわざ出かけて塾に行くのが面倒くさい】

 

ですから(-_-)(-_-)

 

そして、今後誰かに教えてほしい時は、

 

オンライン家庭教師がいい。どこでもできるから。

 

と言っています。

 

確かに、外出先でも、旅行先でも、

テキストとネット環境さえあれば、

子供はいつでもどこでもやってきましたから。

 

そんなブレない子供の事、改めてそこの部分は尊敬するとともに、

将来、経済的にも精神的にも、自分の選んだ道で、どこでも生きて行けるよう、親としてサポートしていかないと、ですね(^^)  

私のルーツ④

私は日本で生まれて日本で育っていますが、
時々自分が何者なんだろう。
と、分からなくなることがあります。

帰化後、何度も韓国に行きましたが、
やっぱりよく分からない。

 

食事も、和食は落ち着くし、韓国料理もやっぱり好き。

ちなみに韓国語は全く分からなくて💦簡単な挨拶を言えるぐらい( 一一)

何度か挑戦しようと思ったものの、残念ながら苦手。。

そして、ここ数年に知り合った友人に、結婚のいきさつや自分のことを話すと、
時代の追い風もあってか、

『うらやましい!』
とか、

『ご主人、凄い!』

とか、(これは、私も本当にそう思います💦)


『子供ハーフじゃん!いいなー』

とかまで言われるほどになってきました(*'▽')

自分のルーツや経験が、怠け癖がある私(笑)を強くさせてくれたことに加え、

人の痛みや気持ちがほんの少しでも分かる大人になれたかも?
と思うと同時に、

今は少し前の常識が、早いスピードで覆る時代

ということに、気づけるということです。

 

常に一歩下がって引いて、物事を見なくてはいけなかったり、

今多くの人が疑いなく、いいと思っていることが突然ダメになったり、

大丈夫だと思われていることが、そうでなくなること。

 

これまで目に入らなかったことが、

もの勢いで世の中に浸透することもあるかもしれない。



帰化することに大反対していた、今は亡き父方の祖母は、
テレビをつけたら韓国ドラマが流れてきたり、

韓国映画やたくさんの歌手の方々が
世界で認められ、活躍している今の時代を知ったら、

なんて言うんだろう・・・と思います。

そして、私と弟の為に、
大変な思いをしながらも、手探りで色んなことをしてくれた
両親には頭が下がりますし、
その行動力に心底尊敬しています。

こう思っていても、帰省時には
酔った父と話すのは、面倒だなと思ってしまう、
まだまだ未熟な私ですけどね(笑)

私のルーツ③

私には弟がいて、昔はケンカもしましたが、

割と仲はいい方だと思います。

そして2人ともあっけらかんとしてるため(笑)

10代20代は自分達の将来や、色んなことを話したり。

 

そして、帰化申請を始める前から、

自分達がこの人には伝えたい、という人達には

隠さず伝えてきました。

 

結婚の話がでてきた時は、人生初。

主人の両親の大反対に合う、という経験。

幼い頃から、反対されてまで付き合いを続けても、上手くいかないことを

十分すぎるほど見聞きしていた私。

価値観の違いは簡単に埋まるものではないことも分かっていたため、

私自身は話し合いをする気にもなれず、あっさりとお別れを決断できましたが、

有難いことに(笑)?主人がそうはいかず💦

主人は、自分の両親とほぼ絶縁状態で結婚するという、

今考えてもお互い人生最大の決断をしました。

私が世間一般でのキラキラしたイメージの結婚に

あまり興味が無いのもありましたが(笑)

結婚指輪、そして結婚式・新婚旅行も勿論無しでのスタートでした。

 

もともと仕事で不在がちになるのも分かっていたので、

お互いの決意・気持ちを忘れないように、の意味も込めて。

 

ただ今思うと、義両親には反対していただいて、今では心から感謝しています。

そうでなければ、子供の事で悩み、ぶつかり、

身も心もボロボロになっていたあの頃、

間違いなく、私は離婚を選択していたと思いますw(ノ´∀`*) 

 

子供を授かってから、少しずつ義両親との関係は落ち着きましたが、

両親同士は、現在まで1度もまだ会っていません。。

 

 

そんないきさつを知っている数は少ないものの、

大切な友人・知人達は、有難いことに、何も変わらず接してくれ、

子供の事も知った上で、いつも応援してくれます。

 

そんな私を見て、 両親は常々、

 

 時代は変わるんだなぁ。

 

 と、話しています。

 

周囲に話して、反対されてまで結婚して、

差別されたり、色んな人に面白可笑しくされないなんて、

考えられないということ。が。

 

私のルーツ②

自分自身のことを知ったのは、確か小学生になった頃かな?

はっきり両親から聞かされました。

そして、これから嫌な思いをすることがあるかもしれないことも。

なんとなく、分かってはいまして。
自分の環境が他の子とは、ちょっと違うんだなと。

今のように韓国エンタメも、
サッカーを初めとするスポーツも、
海外旅行も全く身近ではなく、
キムチですら、スーパーに売っていなかった頃。
(私は田舎に住んでいましたので。当時、都会にはあったのかもですが。)
韓国料理も全くメジャーではありませんでした。

そんな時代、特にお正月に親族が集まる時は、

韓国語での挨拶に始まり、

会話は韓国語と日本語のミックス。
ハングル文字で書かれたお年玉袋でお年玉をいただいたり、
業務用の鉄板で、大量のチヂミを焼いたり、

もちろんキムチやナムルも作ったり。
お雑煮ではなく、トック(韓国のお餅料理)
を食べたり。


みんな、そんなお正月を過ごしているかと思っていたら、保育園で

『お雑煮食べた人、手上げて~』

とか聞かれて、お雑煮って何?って感じでした(笑)



そして、子供ながらにそんな集まりでいつも聞いていた大人達の会話。


帰化するか、しないか。


差別もまだ多くあり、
誰々の子供がまた就職できなかったとか、
隠してたけど、お相手に打ち明けた途端、

お付き合いがうまくいかなくなったから、

やっぱりお見合いさせよう、とか。

そんな内容が多かったように思います。

私のルーツ①

日本は何でも優れている

 

と聞かされて育った私。

 

実は私、ちょうど成人した頃に、韓国籍から日本国籍帰化しています。

 

私も両親も、日本生まれの日本育ち。

生まれた時から、ただただ

 

在日韓国人3世・特別永住者

 

という位置づけでした。

 

住民票はもちろん、成人しても選挙権は無し。

 

日本で生まれて日本で育ったんだから、と、

両親はいち早く子供の為に、特に母は義母に大反対されながらも、

まだ誰も親族が帰化申請をしていない頃から、

手さぐり状態でやり始めてくれました。

 

自営業だったこともあり、審査に年数がかかったり、

ちょっとしたことの為に、何度も何度も書類を揃えたり、

法務局へ出向いていました。

 

私は多感な思春期。言葉にできないものすごく複雑な思いでした。

そして子供である私にも、

 

動機書を書いたり

面接を受けたり

 

と、やらないといけないことは色々ありました。

 

数年後無事に申請がおりたとき、

 

これから日本国民として恥じない生き方をしてください

 

とのお言葉。

 

今までと何も変わらないのに。

 

と当時は、何とも言えない気持ちになったものでした。。

  

時代は変わる

先日、

 

パラサイト 半地下の家族

 

という韓国映画が、アカデミー賞で4部門の受賞をしましたね。

カンヌ国際映画祭でもパルム・ドールの受賞をしています。

 

 

映画は好きなのですが、

現在子供の日々の生活サポートに伴い、

主人が単身赴任中ということもあり、

残念ながら今は映画を見る時間が全くありません💦

 

 

お金に関わるテーマですし(笑)

落ち着いたら見てみようと思っています☆

 

 

で、韓国のエンタメって、今回のパラサイトもそうですが、

ドラマはもちろん、音楽、コスメなんかも以前にも増して、

凄い人気ですよね。

 

 

アジアだけでなく、世界から。

 

 

 私はこれといって、特定な人や好きな作品がある訳ではないのですが、

こういった韓国エンタメが活躍している情報を見るたび、

ある思いが湧いてきます。

 

 

時代は本当に変わっていくんだな。

 

 

と。

 

 

それは、

 

 

私が子供の頃は、そんなことは一切なく、むしろ、

 

 

日本は何でも優れている

 

 

と聞かされて育ってきたから。

現在へ

香港保険契約、HK expressのバウチャー返金の出来事以降は、

日々穏やかに、しかし、淡々とやるべきことをやりながら過ごしていました。

年末に家族でロスに行くこともできて、現在に至ります。

 

 

主人、子供、勿論私も、

心と体が健康で、日常を過ごすことができ、

こうやってブログを書いていると、改めて本当にありがたいなぁと思います。

 

 

だた、私はまだまだ本当に未熟で。。

 

 

自分に余裕がなくなると(笑)幸せの基準がすぐに上がってしまいます💦(;'∀')

 

 

肩肘はらず、シンプルに、軽やかに行動ができ、

常に笑顔で余裕がある1人の女性になることが理想ですが、

 

実際は、

 

・お腹がすいたり

・寝不足だったり

 

するだけで、自分の感情や態度が揺れ動くことも多く、

反省しきりです( 一一)

 

特に、子供は、そんな私の微妙な変化に気づきやすく、

自分では全くそんなつもりはないのに、

 

今日、なんか冷たい

 

とか、

 

行動が荒い

 

とか、言われてしまいます。。

 

 

それに加え、悩んでも答えが出ないことを考え続けたり、

行動することに対して、とても不安に思い、

永遠にぐるぐる同じことを考えることも多く。

→自分で暇なんだね、とツッコミを入れたくなるほどです(笑)

 

 

そんな私ですが、

これからは、子供がキッカケではありましたが、

意を決して行った積立投資や保険契約を通して、

日々の出来事や、思ったこと、感じたこと、

何かがキッカケで

思い出したことなんかも書いていければ、と思っています。